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Posted by チェスト at

2017年10月18日

もう一つの平家物語(長編)

清原校区には四つの集落、平原鈩迫茅野草野 があります。

清原は平家の落人が大晦日に逃げ延びて着き,里芋を村人にもらって、茹でて皮ごと食べて生き延びたという伝説や、正月の門松を立てる間もなかったので,この地区の人は門松を立てないという風習も残っているそうです。

平原には、平山姓というのがあり、平家落人と伝えられています。集落のはずれに ヒランヤマ「平山」と呼ばれる丘があります。
平山姓は、平を名乗りつつ、山の字で(平家を)隠すと言われていました。
現在では、平山を名乗る家も、墓さえなくなりました。

平原集落を望む、後ろに車岳
平山家の連名の墓のひとつ

鈩迫(たたらさこ)
たたらとは、爐「ろ」のことで、泊の砂鉄を運び鉄材を造っていた。迫は広義、谷のことで、平原から少し上ると清原があり、ここから泊川の支流に沿って登ると鈩迫集落がある。背後に車岳がそびえ見晴らしはよいが、雰囲気的に、落人場所に相応しい?ところと納得できるような感じの場所。

平家の末裔として、売島家があり、この鈩迫集落だけでなく、坊津全体でも結構知られていました。
この家系も本家は存続なくなって、他家に嫁いだ娘さんかが、謂れを記録する為に、墓に記録しておいたとか。 また、ここには源氏の追手も来て、部落の入口に源氏社、集落の山はずれに平家社が建てられていたとのことです。今でもそこで平家祭、源氏祭の行事が行われているそうです。
鈩迫集落入口
売島家15名の
墓石と売島庄右衛門墓

賣嶋庄右衛門尉綱継墓には、左右、裏にも漢文の文字が彫られている。

右大臣御子五位大神
下総国千葉郡賣嶋御一年安部貞任高家
ノ宗任ヲ滅セシ時平将軍依忠節賣嶋ノ
郷三千八百丁給入部故依千葉殿入重縁
子々孫々ニ里及千葉家ノ寫ヲ傳テ幕
ノ文ヲ作ナリ

拙家○准他家賣嶋氏依為嫡流代々系図
致挌護置也加世田賣嶋吉左衛門家者ニ
男家也其方母方賣嶋之為○胤妙見宮信
心難謝致草寫還者也
平朝臣松元孝全貞豊

「もう一つの坊津観光案内」より抜粋、追記してあります。

平家落人伝説は各地それぞれありますが,我らが住むここ南さつま市にもありました。 以上
  

Posted by のりP(顔は本人ではありません) at 09:18Comments(0)