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2017年10月31日

谷崎潤一郎「台所太平記」

 以前は泊の九玉神社の鳥居の脇に文豪谷崎潤一郎の自宅の様子をモデルにした小説「台所太平記」の碑が建てられていた。

谷崎潤一郎「台所太平記」


現在は丸木崎展望台に移されていて、
「台所太平記 さつま潟とまりの浜の乙女子は嫁ぎてもゆくか伊豆の猛夫に 潤一郎 」と碑に刻まれている。
これは小説の中の「銀」について詠んだ歌のようであります。

谷崎潤一郎「台所太平記」

谷崎潤一郎「台所太平記」

谷崎潤一郎「台所太平記」


 この小説は、昭和37年に「サンデー毎日」に連載されたもので西南方村泊出身の谷崎の自宅のお手伝いさんをモデルにして書かれている。谷崎家では、昭和11年頃から泊出身のお手伝いさんが十数名仕えていたと言う。谷崎家では昭和11年夏に泊まり出身の「初」がお手伝いさんになってから次々に彼女をたよっての沢山の女性が谷崎家で青春を過ごしている。特に谷崎(千倉)は約20年間ほど谷崎家で過ごした初がとてもお気に入りでこの小説の中でも女中の中心人物として一番紙幅を割いて書かれている。そして「梅」は酒が好きで癲癇もちで、初の弟に嫁いだ。泊まりの裕福な家の出の「銀」はとても美人で結婚した後湯河原のお土産売屋「春吟堂」の女将として活躍し、結婚した後の付き合いまで細かく書かれている。また坊津出身の乙女は学校は出ていないものの料理にしても裁縫にしても金銭感覚、責任感などもとてもよくできた乙女として谷崎夫妻の深い愛情と共に描かれている。谷崎は本の最後に年老いて坊津を訪ねることはできなかったことが残念であると書いている。そして谷崎が彼女たちから聞いた坊津の位置や風俗、歴史、生活、カツオの釣り方など詳細にかかれております。

*因みに九玉神社は坊津にはそのほか秋目と久志にもあります。

谷崎潤一郎「台所太平記」
 久志九玉神社







Posted by のりP(顔は本人ではありません) at 12:08│Comments(1)
この記事へのコメント
坊津から多くの歌人や、歴史を飾った人たちが出て、坊津は素晴らしいところだったんやね。生地でありながら新しいニュースに感動しています。ありがとう。
Posted by 垂井さん at 2017年10月31日 12:37
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谷崎潤一郎「台所太平記」
    コメント(1)