2018年02月02日
イモ焼酎と島津斉彬

一見何の関係もないように思えるが、実はイモ焼酎を生み出したのは斉彬なのである。
集成館事業によって軍備の近代化.産業の育成を進めた斉彬は、新型銃の開発にも取り組んだ。その一つに従来のような火縄を用いたものではなく、衝撃で爆発する雷汞(らいこう,水銀)を点火に用いた雷管銃の製造があった。この雷汞を作るためにはエチルアルコールが必要だった。
当初はアルコールの原料に米焼酎を利用していたが、コメを使うと庶民の食べる分が不足してしまう!
そこで斉彬は薩摩でたくさん収穫できる安価なサツマイモを使ってアルコールを大量生産しようと考え、イモ焼酎を作るよう命じた。
サツマイモは、焼酎に不向きな作物で、当時の技術では臭いがきつく、飲料に適さないものしか製造できなかった。斉彬はそれを工業用としてのみならず飲料用としても利用できるように製造法の改良も命じた。
結果、焼酎の製造法.麹が改良され、またたくまに庶民にも広がり、鹿児島を代表する特産品となった。

地中に埋め込まれた甕壺。外気に左右されることなく、安定した品質のもろみを作りだす。
Posted by のりP(顔は本人ではありません) at 15:44│Comments(0)