2017年11月26日
偉人たち(その5)
中村 嘉寿
明治13年源次郎氏の長男として久志に生まれる。水産講習所、ニューヨーク大学卒、新聞記者となり、ポーツマス講和会議に出席。自動車会社、銀行、水産会社などの役員、「海外の日本」社長、代議士当選六回、その間、国立国会図書館設立に心魂を注ぎ、初代図書館長となる。海外移民、学生の海外派遣に尽くす。太平洋を横断すること六十回、世界巡遊九回、晩年は政治大学長、海外貿易振興会.世界連邦クラブなどの理事となり、その業績により、勲二等瑞宝章に叙せられる。床次竹次郎氏の女婿、慈恵医大教授.中村嘉蔵はその弟で、子息初雄は、慶応大図書館学科の教授である。
松下 兼利
明治15年泊に生まれる。鹿師範卒、郡内各学校の訓導を経て、今岳小の初代校長として、16年間子弟教育に尽くされる。紀元二千六百年記念事業として、西南方郷土誌の編さんに当たる。初代福祉協議会長、民生委員長、選挙管理委員長などを歴任。長男兼則は、京大卒、石油液化を発明し、これを軍に納め、将来を期待されたが、若くして戦病死し惜しまれた。次男兼次は、鹿大工学部助教授である。
原 義秀
明治17年平之進の三男として泊に生まれる。岡山六高卒、鹿児島朝日新聞社に入社、その後、福岡日々新聞社に入り、編集長となり、副社長となる。その間、同盟通信社から選ばれて世界遊学をする。九大医学部を中心に、原クラブを作り、多くの俊才を輩出したが現鹿大水産学部教授.原多計志は、その甥で、育成された一人であり、坊津郷土誌の編さんに尽くす。
鳥原 英治
明治17年坊に生まれる。坊泊小高等科を出て、鹿一中七高、東大法科卒、司法省の検事となる。奈良地方裁判所検事正。神戸で弁護士を開業した。

Posted by のりP(顔は本人ではありません) at 18:17│Comments(0)