2017年11月24日
偉人たち(その4)

原 愛之進
明治6年平之進の長男として泊に生まれる。慶応大学を出て、山陽鉄道に勤め、日清戦争に従軍し、功により金鵄勲章を授与される。(県下で二人)後、鐘紡に入社して、副社長となり、武藤山治の懐刀として活躍する。 長男正健は、工学博士で東京工大の教授である。
原 耕
明治9年平之進の二男として泊に生まれる。大阪高等医学校卒、枕崎に医院を開業、若い頃から快男児で、、気宇壮大であった。東南方村会議員に当選、枕崎町の名付けと、役場移転に尽くした。漁業に関心をいだき、医業は千代子夫人に任せて、鰹漁業経営者となり、漁撈、製造、販売を分離して経営の合理化を図り、なお枕崎造船の創立につくした。大型漁船千代丸を建造して、沖縄、台湾、フイリッピン近海の漁場開拓に当たった。さらに三回にわたり南洋漁場を探検し、アンボイナを基地として、鰹漁業の経営を企画、この間衆議院議員に二回当選、昭和8年、三回目の探検で、マラリアにおかされ、アンボイナで客死した。功績により従六位に叙せられた。鰹漁業開拓の父として、現地ではあがめられ、碑を建て、また枕崎漁業発展に尽力するところ大きく、枕崎市では、原公園を作り、その業績を長くしのんでいる。
尾辻 彦二
明治9年久志に生まれる。尾辻謙哉氏に育成され、長崎医専卒、枕崎に開業して名医として人望を集めた。また、川辺郡医師会長などを歴任し、誠実な医療に専念された。
貴島 鉄
明治11年東郷示現流の大家.藤一郎二女として泊に生まれる。二十六歳の時、産婆学校で学び、以来60年この道一筋に生きた。産湯を使ったもの三千人を超すと言われ、名前をつけてもらった者も多く、多くに人に慈母のごとく慕われ、生涯父藤一郎に孝養をつくした。

Posted by のりP(顔は本人ではありません) at 15:58│Comments(0)