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のりP(顔は本人ではありません)
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2017年10月24日

「穴ん婆さん」

「穴ん婆さん」


昔、坊津久志に都の高貴な女性が念仏を伝えたが一向宗に対する迫害があり、上野集落に身を隠したりし、そのあと尊牛山の山腹にある岩穴に移り住み、住民の加護を受けて生きの伸びたということです。
村人は「穴ん婆さん」と呼んだそうです。

「穴ん婆さん」


この高貴な女性は神武天皇から数えて112代の霊元天皇( 1663 ~ 1688 )の皇子勝宮の乳人を勤めた京都正光寺第13代教従の娘・久女である。勝宮は 1713 年 5 歳で亡くなられ、父君の霊元天皇はその後、皇子について霊夢を感じて 33 体の観音像を刻み、これを全国 33 所の霊跡に奉納することを久女に託されました。久女は霊跡を廻り、1736(享保21年)年頃久志にやってきたのだそう。

「穴ん婆さん」

1738年(元文元年)3月3日にここで死んだとか密告により捕縛され処刑されたと言うが、真偽のほどはわかりません。が、命がけで信仰を守られたお婆は胸に迫るものがあります。
久志から登って来たのですが、終点上野集落に出てきました。

「穴ん婆さん」
セイタカアワダチソウと風車




Posted by のりP(顔は本人ではありません) at 09:32│Comments(0)
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