2017年10月12日
「もう一つの坊津観光案内 より
坊津の由来
秋目湾
昔から「唐入道」といわれてきた坊津は、遣唐使をはじめ「母国を離れる最後の港。そして唐から帰ってほっとする安堵の港。」でした。
鑑真和上像
唐の高僧、鑑真が?難辛苦の末、仏教を伝えに上陸された地であり、フランシスコ .ザビエルがキリスト教を伝えに上陸された地であります。まさに坊津は、異国の文化、制度が入ってくる玄関口であり、魂の開花(宗教)の玄関口でもありました。
フランシスコ・ザビエル肖像参照
1549年、坊津に上陸したザビエルは、ヨーロッパに送った報告書に「日本人は気がやさしくて勇敢な民族です。秩序を好みモラルも高い。13歳で剣を使い、ひとたび闘争すれば死ぬまでがんばる民族です。」と書かれた日本人像は、坊津の漁師たちの事でした。
美しいリアス式海岸の風土と、重要な歴史の中で、坊津は勇敢でなおかつ優しさを併せ持ち、初志貫徹の力強さを持っている素晴らしい気質の人々を、育んでいったのでしょう。
坊津は廃仏毀釈で寺壊しがされる前までは、勒願寺一乗院を中心として、寺の数も多く人々は信仰心が強かったそうです。

坊津の名の由来は、仏教伝来の「坊」とリアス式海岸の「津」(港)からきているそうです。
美しい風景と、心のふるさとが、観光で訪れる人々の心をおおいに癒す事でしょう。そして美しい夕日を眺めながら、心を見つめるには最適な処でありましょう!

つづく…

昔から「唐入道」といわれてきた坊津は、遣唐使をはじめ「母国を離れる最後の港。そして唐から帰ってほっとする安堵の港。」でした。

唐の高僧、鑑真が?難辛苦の末、仏教を伝えに上陸された地であり、フランシスコ .ザビエルがキリスト教を伝えに上陸された地であります。まさに坊津は、異国の文化、制度が入ってくる玄関口であり、魂の開花(宗教)の玄関口でもありました。

1549年、坊津に上陸したザビエルは、ヨーロッパに送った報告書に「日本人は気がやさしくて勇敢な民族です。秩序を好みモラルも高い。13歳で剣を使い、ひとたび闘争すれば死ぬまでがんばる民族です。」と書かれた日本人像は、坊津の漁師たちの事でした。
美しいリアス式海岸の風土と、重要な歴史の中で、坊津は勇敢でなおかつ優しさを併せ持ち、初志貫徹の力強さを持っている素晴らしい気質の人々を、育んでいったのでしょう。
坊津は廃仏毀釈で寺壊しがされる前までは、勒願寺一乗院を中心として、寺の数も多く人々は信仰心が強かったそうです。

坊津の名の由来は、仏教伝来の「坊」とリアス式海岸の「津」(港)からきているそうです。
美しい風景と、心のふるさとが、観光で訪れる人々の心をおおいに癒す事でしょう。そして美しい夕日を眺めながら、心を見つめるには最適な処でありましょう!

つづく…
Posted by のりP(顔は本人ではありません) at 17:16│Comments(0)